「侘び寂び(わびさび)」「幽玄」「有心・無心」「もののあはれ」「無常」は、日本人にとって古くからある美意識で、心のゆとり・余裕が持ちにくい現代社会に不可欠な意識です。
今回のテーマについては、次のポイントでまとめました。
- 「侘び(わび)」とは?
- 「寂び(さび)」とは?
- 「幽玄」とは?
- 「有心・無心」とは?
- 「もののあはれ」とは?
- 「無常」とは?
簡単に理解できますので、ぜひ、読んでみて、一歩先の美意識を堪能ください。
- 「侘び(わび)」は、脱俗・不足・粗相の美。
- 「寂び(さび)」は、閑寂・枯淡の美。
- 「幽玄」は、奥深くにある本質的な美。
- 「有心」は、奥深くにある本質を感じる心の美。
- 「無心」は、心を超越した、不動の境地の美。
- 「もののあはれ」は、移り変わる無常の美。
- 「無常」は、儚さを受け入れた、その先にある美。
本記事では、美意識のうち、「無常」について、無常(諸行無常)とは何か?その意味を紹介します。
「無常」(諸行無常)とは?その意味は?
「無常」の語源
「無常」という言葉は、仏教用語の「諸行無常」が元となっています。
仏教発祥の地、インドには、祇園精舎という寺があり、そこの無常堂(院)に四つの鐘が下げられており、修行僧が亡くなったとき、その鐘を鳴らし、「諸行無常」の詩句を響かせ、極楽浄土に導いたと言われています。
「諸行」は、もろもろの移り行くもの。すべての事物。万物。という意味があり、「諸行無常」は、一切のものは、永遠ではなく、移り変わる。ということを表しています。
「無常」という意識
「無常」の意識については、日本人なら一度は、じっくりと考えておきたいものです。
日本人の無常観は、他の国と比べ、独特なものであり、日本人特有の、花鳥風月を愛で、人生のはかなさを感じる情緒的な自然観、死生観と合わさり、非常に意味深いものとなっています。
ここでは、過去の日本の文献や、偉人たちが捉えた「無常」について紹介します。
まずは、最も有名な「いろは歌」です。
いろは歌(平安時代 西暦1079年)
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
訳:色鮮やかに香る花も、いずれは散ってしまう この世の誰もが、永遠に生きることはできない 越えることが難しい無常という山を越えると 儚い夢を見ることなく、この世に酔いしれることもない。
これは、無常なるこの世を知り、無常なるものを受け止め、物事に動じず堅実に生きよう。という意味が込められたもの。
次は、鎌倉時代の「平家物語」を紹介します。
平家物語(鎌倉時代 時期不明)
平家物語は、平家の栄華と没落を描いた物語であり、世の中の無常さ、はかなさを謳ったもの。
祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし
訳:祇園寺の鐘の音には、諸行無常という響きがある 沙羅双樹の花の色は、勢い盛んな者も必ず衰えるという道理をあらわしている 驕れる者の天下も、長続きはしない それはまるで、春の夜の夢のようである。
続いては、随筆・小説の世界の「無常」について紹介します。
『鴨長明』(平安時代の随筆家)
鴨長明の、人生のはかなさを描いた「方丈記」に、次の言葉がある。
「ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず よどみに浮ぶうたかたは かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし 世の中にある人とすみかと またかくの如し」
訳:川の流れは絶えることがなく、今、流れている水は、前と同じ水ではない。川のよどみに浮かぶ水の泡は、一方では消え、また一方では生まれ、そのまま長くとどまる例はない。世の中に生きている人とその住まいもまた、この川の流れや水の泡のようなものである。
『兼好法師』(鎌倉時代の随筆家)
吉田兼好が、無常観、死生観を描いた「徒然草」に、次の句がある。
「命は人を待つものかは 無常の来ることは 水火の攻むるよりも速かに 逃れがたきものを その時老いたる親 いときなき子 君の恩 人の情 捨てがたしとて捨てざらんや」
訳:寿命というものは人の都合を待ってくれるだろうか。いや、待ってはくれない。無常の死は、洪水や火災が襲いかかるよりも早く、避けることが難しい。そんな切羽詰まった無常な人生において、年老いた親、幼い子、主君の恩、人の情けを無視することができないからといって、無視しないだろうか。いや、無視せざるをえない。(他人の世話よりも自分の世話を優先せざるをえない)
「人 死を憎まば 生を愛すべし 」
訳:人は、死を恐れて憎むよりも、生を愛するべきだ。
これらの句は、人生は無常で、生死の前では人は無力であるが、それでも、生きることに目を向け、楽しんで生きようと伝えている。
『志賀直哉』(明治時代の小説家)
志賀直哉の「ナイルの水の一滴」に、次の一節がある。
「人間が出来て、何千何万になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生れ、生き、死んで行った。私もその一人として生れ、今生きているのだが、例えて云えば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年溯っても私はいず、何万年経っても再び生れては来ないのだ。しかも尚その私は依然として大河の一滴の水の一滴に過ぎない。それで差支えないのだ。」
これは、人生のはかなさ、むなしさをしっかりと受け止め、それでも、力強く生きようと伝えている。
そして、最後に、明治大学教授である唐木順三は、「無常」を次のように表しています。
「無常なるものの無常性を徹底させるよりほかはない」
以上のように、「無常」は、「はかない人生」という解釈にとどまらず、その無常さを受け入れ、力強く、堅実に、そして楽しんで生きようという意味が込められています。
この記事をご覧になったアナタが、一歩先の美意識の世界を少しでも、感じていただけたら、筆者としても幸いです。
今度は、ぜひ、世の中にあふれる「無常の美」を肌で感じてみてください。